(すぅじぃず・にゅうす)
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白鬚橋病院殺傷事件の犯人の死
2005年 01月 21日 *
管理人、珍しく仕事が立て込んでいます。

にもかかわらず、ファックスの不具合を直したり、プリンターのちょっとしたトラブルで、手こずったり、HPを下手にいじったばかりに、困ったことになったり(師匠、お世話かけます)、とちっとも仕事をやらなかった。何やってんだろ。


夕刊の社会面に「昨年12月、白鬚橋病院で入院患者ら3人を殺傷して逮捕された男死亡」というベタ記事を見つけた。この男末期がんで、自暴自棄になって、他の入院患者を刺したが、それから約1ヶ月で肝不全で、自分も死んだらしい。

どうせ死ぬんなら、殺人犯なんぞにならずに、きれいに死ねばいいのに。でも、どうせ死ぬんなら、殺人犯だろうがなんだろうが、変わらないのか。う~む、わからん。

ただし、殺された方はたまったもんじゃない。安全なはずの病院で殺されてしまったんだから。病院内で亡くなる死因は、ほとんど病死だろうに、刺されて死ぬなんて、本人は思いもしないし、家族も悔やんでも悔やみきれんだろう。

いずれにしろ、この男は死んだ。人を殺して、満足のいく死に際を迎えたのだろうか。私にはそうは思えない。「死に際の美学」とはよくいうけれど、この男の死に際は、とてもみっともないものだったと思う。

それにしても、男は他人を道連れにしなければならないほど、死が怖かったんだろうか。私は父の死を間近に見て、「死」は決して怖くはない、と思った。

死んだら、何も見ることも聞くこともなく、何も考えないまっさらな「無」になるからだ。何もないんだから、怖くなりようがない。

怖いのは「死」ではなく、「死ぬこと」なのだ。つまり、死に至るプロセスである。人が死を恐れ、避けようともがくのは、死に行くプロセスが怖いからに他ならない。

徐々に肉体が衰弱し、歩けなくなり、やがて立つこともできなくなる。食事も喉を通らなくなり、呼吸が苦しくなり、やがて心臓が停止する。

(あ、それらが一瞬に一遍にやってくる事故死というのもあるけど、ここはそれをおいといて、病死について、と考えてくださいね)

今まで健康だったのに、そんな不本意な自分が情けなくて辛いから、気持ちが暗く沈みこみ、死の恐怖に怯えるようになるのだ。

だから、そのプロセスはなるべく苦しまないような医学的ケアと、怖くないような精神的ケアが必要だと思う。特に現在の医療体制の中で、抜け落ちているのが、精神的ケア。

医学的ケアはできないけど、精神的ケアのお手伝いはしてみたいな、などとこの記事を読んだ後、つらつら考えた。ちょっと重たい話だったかな。

さあ、油売ってないで、仕事仕事!
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by Suzie(すぅじぃ) by cafesuzie | 2005-01-21 21:53 | ニュース *
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